ブログとかSNSって期間を空けると、
そこに入っていくのをとても躊躇ってしまいます。

大縄跳びと一緒です。
一度躊躇って足を踏み出せないと、
ずっと入っていこうとして、
体だけ揺らしたままだ。


想像してみてください。


大縄跳びの縄はずっと回ったままなのに、
そこへ入っていけない、南米にいそうなくるくるパーマの二十七才を。



それがキブンです。コンバンワ。


行方不明が二人います。



高校のときの知り合いなのです。


友達って書かないのは、向こうが友達だと思ってなかったりしたら、

ぼくのハートが、台風が来たときの木造住宅(築六十年!)になってしまうじゃないですか。


で、その行方不明者なんですが、
一人はね、高校の一年のときからの付き合いで、
自転車で一時間半くらいのところに住んでいた河童(仮名)。

河童は音楽に詳しくて、Green dayのCDを貸してくれて、
ギターも持っていたし、ビートルズのポスターが部屋に貼ってあった。


だけど、一度も彼がギターを弾いているのは見たことがなかった。


そして、河童は絵が上手かった。

何故か人の横顔しか書かなかったのだけれど、
その横顔は今にも動き出しそうで、
音楽室のベートーベンの肖像画よりも躍動感があった。


彼は「漫画家になる」としばらく言っていたことがあった。



だけど、彼は一度も正面の顔を書かなかった。


河童はたぶん唯一、ぼくが高校のときに口にしていたことを本気で信じてくれていた人間だ。



だけど、彼はいつの間にか姿を消してしまった。


もう一人高校のときの行方不明者で、
まっくろくろすけ(仮)というのがいる。


彼はもう南米のコーヒー農園で働き始めて、

はや三十年たってしまったよというような外見だった。

つまり、色が黒くて、どちらかというと老けていて、
だけどとても人懐っこい笑顔のする男ってことです。

彼は絶対に会社に就職はしないと決めていて、
高校を卒業してから長野県にレタスを収穫しにいったり、
カメラマンのアシスタントをしたり、
お洒落古着屋で働いてしばらく休むといったことを繰り返していた。


まるで人生を何度も味わうかのように。


彼が短期の仕事を終えるたびに、
ガストの一席をドリンクバーだけで占拠した。


河童とまっくろくろすけの二人に共通するのは、

何か「特別」になりたいと思っていたことだった。

普通に大人になって、結婚して家庭持って、使い捨ての歯車になってしたくない仕事をするなんて、
それのどこがカッコイイんだ?って思っていた。


“それは間違いなくぼくも同じだった”


だけど、それは年とともに葛藤することになる。


二十一才くらいのとき、
ぼくと河童はある池で貸しボート屋のアルバイトをしていた。


少ししかお客は来なくて、
来てもボートを貸すときと、
返してもらうときだけしか仕事はなかったから、
話す時間はたくさんあった。

ぼく「ギター弾いたりしてんの?」
河童「弾いてるよ。弟が」

ぼく「横顔以外はかけるようになったか?」
河童「いままでいつも顔、西向いてたじゃん。すげえよ。東向けるようになった」


ぼくと河童はそのボート屋の仕事がなくなってから、
会わなくなっていった。

ぼくは学校に入り、同時に会社で働きだした。


河童はぼくと考え方が似ている。


だから河童がなぜギターを弾かなかったのか、

なぜ横顔以外書かなかったのかをぼくは知っている。



それは「怖い」からだ。



ギターを弾けなかったとき、
漫画を描けなかったとき、
自分がもしかしたら「特別」ではないということを
認めなければいけなくなるからだ。


“大縄跳びで、飛び込まなければ、縄にひっかかることはないからだ。”


その後河童がどういう五年間を過ごしたのかを知らない。

まっくろくろすけが今どうしているかを知らない。

だけどぼくがもし、何かを成し遂げたら、彼らは連絡をくれるだろう。


そして二人してこう言うのだ。



「おめでとうなんて言わんけど」と。



そしてぼくは、「ありがとう」と応える。


その日が来るときのために、

きっとぼくは書き続けるだろう。






「一喜一憂をしてても仕方がない。
棺桶の釘を打たれるまで何が起こるかなんてわからないよ」

死神の精度

伊坂幸太郎